表に見るように、心臓移植では初年度に900万〜1200万円、肝臓移植では初年度に800万円程度の費用がかかるとされている。合併症が加われば、それに応じて費用はさらに増大する。しかし2年目からは通院検査と免疫抑制剤の費用のみで、年間100〜150万円程度と計算される。
これに対して人工心臓は、体内に埋め込まれるポンプの部分が400万円、体外に置かれるコンソールの部分が2千数百万円、合計約3000万円を必要とする。また、人工肝臓については、現在肝機能を完全に代行するものは存在しないが、部分的に補助する血漿交換および血液濾過を連日行った場合、1ヵ月で990万円の費用がかかる。これらの人工臓器による治療は生命を一時的に維持するだけであって、中断することはできない。またこれによって患者が完全に回復することもない。
このように人工臓器でも高額の医療費がかかるばかりか、患者のQOLはきわめて悪く、これにより患者を救命することは不可能である。
なお海外で心臓、肝臓の移植を受ける場合は、医療費の他、待機期間中の滞在費、付添いの生活費も含めて、2000〜3000万円程度の費用が必要となる(帰国後の医療費は別)。待機期間が長くなれば長くなるほど費用はかさむ。これらは個人では負担しきれず、多くの場合募金活動などの支援を受けざるを得ない。

脳死移植の実施は性急すぎるか
「‘移植でしか助からない’患者を助けたいのは当然であるが、法律の制定を急ぎ、問題点の解決していない脳死移植を進めるべきではない。慎重に議論すべきである。」
臓器移植に関する法案などの検討はすでに1967年から開始されており(日医ニュース
1968. 12. 20)、1969年には厚生省の諮問機関として「臓器移植に関する懇談会」が設置されている(日本医事新報1970.
1. 10)。また脳死に関する議論は、1980年頃から十数年に渡って行われている。無論、必要な議論は十分になされるべきであろう。しかし、いたずらに時間を費やして結論を先送りしてゆくうちに、移植を待ち望む患者の生命はつぎつぎと失われてゆく。脳死臨調の答申でも、「できるだけ速やかに脳死および臓器移植をめぐる諸問題の解決に必要な施策の検討に着手」するよう要望している。
臓器移植法が制定されることは、すべての人が臓器提供を行ったり、臓器移植を受けることを強制されることを意味しない。現法案では、臓器提供や移植を行いたくない人は、それを拒否する権利が保障されている。

移植は医師の功名心のためか
「移植法成立のあかつきには実施されようとしている脳死下での心臓移植や肝臓移植は、患者のためというよりも、移植医の野心や功名心のためではないか。」
日本国内でこそ、心臓移植も脳死肝移植も行われず、非常に先端的で特殊な医療というイメージを持たれているが、世界ではすでに心臓移植が2万8千例、肝臓移植が4万例以上行われ、確立された通常の医療とみなされている。今後、日本で心臓移植第2例が行われても、移植施設や移植医自身にとって、名誉にも学問上の業績にもなるわけではない。一部の報道が加熱するために、結果的に世間の注目を集めることになるが、それは移植医の望むところではなく、自身は医師としての本来の職務を果たすだけのことである。

和田移植の反省はなされたか
「医師不信、医療不信、わけても‘移植医療不信’の原点となるのは和田移植である。このような事件が過去にあるからこそ、死んでもいないのに臓器を摘出されるのではないか、必要もないのに移植されるのではないかという不安を拭えない。」
和田移植の問題点は以下の通りである。
1. 移植医自らが患者の管理をし、脳死と判定した。
2. ドナーが脳死ではなかった疑いがある。
3. レシピエントが移植適応ではなかった疑いがある。
4. 臓器摘出、移植に関する十分な記録が残されていない。
5. 医学界全体が、この事件に対し反省をしなかった。
殺人罪の告発を受けて検察が捜査したが、証拠不十分で起訴を断念せざるを得ず、真相は解明されずに終わった。また、このために当時の医学界も公式に反省の意を表明する機会を失った。この一連の経過が、国民の間に深い不信の念を植えつけたことはいうまでもない。
しかし、和田移植のもたらした教訓は今日に及んでいる。1986年日本移植学会はその反省に立って、このような事件を防止するための諸策を盛り込んだ指針を理事長声明として示し、ついで1991年日本胸部外科学会臓器移植問題特別委員会は、「心臓移植・肺移植−技術的評価と生命倫理に関する総括レポート」の中で、和田移植について「反省を基礎として我々の指針を構築すべきである」と総括し、医学的問題のみでなく、社会的・倫理的問題について検討を加えている。
脳死移植実現の前提は、二度とこのような事件を起こさないよう保障するシステムを確立し、不安を抱く人たちにその点を納得してもらうことでなければならない。すなわち、
1. 脳死者の管理、脳死判定は、救急医、脳外科医が担当する。この過程に移植医が関わってはならない。
2. レシピエントの適応決定は、移植医のみが決めるのではなく、内科専門医を含めた適応検討委員会が行う。
3. 臓器摘出、移植に関する記録を保存することを義務づけ、問題があると考えられる事例については、審査委員会が審査する。
このようなシステムによって、和田移植のようなケースが再発することはあり得ないと考えられる。これらの点については、今回の法案(運用およびその指針骨子案)、及び移植関係学会合同委員会(世話人 森 亘 日本医学会会長)の「臓器移植に関する指針」に明記されている。

医師不信のため移植はできないのか
「わが国における医師不信・医療不信は根強く、このような中で行われる脳死判定、臓器提供、臓器移植は信用できない。」
大多数の医師は患者のために誠意を持って努力しているが、さまざまな問題が存在することも否定できない。しかし、一部の医師・医療に対する不信が、すなわち移植医療を否定する根拠とはならないであろう。
重要なことは、いかにして患者の権利を守るかという問題である。そのために、今回の法案では臓器提供と移植の実施に制約を設けており、それに基づいて前項に挙げた患者の権利を保障するシステムづくりがなされている。今後もたゆまず、あらゆる面でその努力は続けてゆく。
今日、医の倫理を初めとして、患者の権利、医師と患者の関係、インフォームド・コンセントなどの問題がクローズアップされ、広く議論されているが、それには移植医療が大きな役割を果してきた。社会と深く関わっている医療であればこそ、多くの人々の関心を呼び、議論の的となってきたのである。今後、移植医療における議論が契機となって、医療全般におけるさまざまな問題点が議論され、よりよいあり方を実現してゆくことも可能になろう。
医師不信を解消するためには、医師の側が反省し、改めるべき点が多々あることはいうまでもない。そのひとつとして今回移植関係学会合同委員会において、インフォームド・コンセントの保障が確認されている。しかし、医師と患者とのよりよい関係は、医師の努力のみによって築かれるものではなく、患者の側の努力も必要であろう。医療の現場で医師と接する際には納得のゆくまで十分な説明を要求し、治療法の選択肢の中から自分で判断し、自発的に選択するという主体的な姿勢が求められる。その際、医師と患者の間のギャップを埋め、分かりやすい情報提供、その他の面でサポートするシステム(コーディネーター、カウンセラー、セカンドオピニオンなど)も必要となってくるだろう。
「不信」を旗印に背を向け合うよりも、医師と患者が相互に努力し協力して、よりよいあり方を模索していこうとする方が、よほど生産的ではないだろうか。

免疫抑制剤は副作用がひどいのか
「臓器移植を受けた人は、強い免疫抑制剤を使用するため、抵抗力が落ちて重い感染症で死亡しやすく、また種々の副作用が高率に発生する。」
初期の免疫抑制剤は広範囲に作用したため感染症の発生率が高かったが、現在用いられているシクロスポリンなどの新しい免疫抑制剤は拒絶反応に関係した免疫反応のみを抑制し、一般の細菌に対する抵抗力はあまり低下させない。しかもその使用法は近年非常に進歩し、血中濃度を測定することにより適正な投与量を決めることができるようになった結果、感染症の発生は非常に減っている。また、その予防法および治療法も進歩してきたため、かつては多かった肺炎による死亡も現在では非常に少なくなっている。
以上に述べた免疫抑制剤の適正な投与により、その副作用として現れる高血圧、腎障害などの発生率も低下している。ただし、心臓移植においては高血圧の発生率がいまだに減少していないという報告もあるが、これについては移植前から存在するものも含まれており、免疫抑制剤の副作用と断定することはできないだろう。なお通常高血圧は、降圧剤の服用により改善することができる。
移植後3ヵ月を経過すると拒絶反応の発生頻度は少なくなって安定期に入るため、免疫抑制剤の使用量もごくわずかとなり、感染症をはじめとした副作用の発生率は一段と低下する(Transplant
Communication 第3号参照)。

移植後も病状は良くならないのか
「移植後の病状は必ずしも良くならず、例えば心臓移植の場合、北米の最新の推計で20%の患者ではかなりの改善をみるものの、20%は種々の合併症で死亡、残る60%は極めて深刻な状態にあると言われている。」
心臓移植の世界統計によれば、1988年以降の心臓移植後の生存率は移植後1年で82%、3年で76%である(図2)。最新の統計ではさらに改善しており、移植後1年で92%の人が生存しているという報告もある。移植する前のこれらの人々の病状は、73%が寝たきりで、24%が心不全の症状のため日常生活に支障があったとされている。移植後これらの症状は劇的に改善し、生存者の86%が全く無症状で、12%が日常生活には支障がないとされ、すなわち98%が通常の生活を送ることが可能となっている(表4)。さらに心臓移植後のQOLについては、80〜85%が活動力が高いとされ、生活の充実感、健康であるという意識度も一般健康人とほとんど変わらない(表5)。海外で心臓移植を受けた日本人についても同様である。
臓器移植法の制定に反対する意見広告(朝日新聞1994. 6. 22)では、「北米の最新の推計で心移植後(中略)20%は種々の合併症で死亡、残る60%は極めて深刻な状態にある」と指摘しているが、これは一般に公表されているデータとは著しく異なっている。批判は事実に基づいてなされるべきであり、事実に基づかない批判は混乱を招くだけで、フェアーな姿勢とは言えないだろう。
誤解を正し、事実を認識してもらうために、移植後の生存率やQOLに関する海外の調査結果を紹介する(表4、5、図2、3、4、5、6)。
表4 心臓移植後1、2、3年の生存者の心不全の程度
| |
移植前(%) |
移植後(%) |
| 1年 |
3年 |
| まったく無症状 |
1 |
86 |
86 |
| 日常生活では症状なし |
2 |
12 |
12 |
| 日常生活で症状あり |
24 |
1 |
1 |
| 寝たきり |
73 |
1 |
1 |
表5 National Transplantation Study(1991年)
[移植後の健康状態、体調] 心臓移植後のQOLを、全米の移植施設の85%についての調査から分析した。
| 活動力が高い人 |
80〜85% |
| 低い人 |
15〜20% |
| 移植後の健康状態が悪いと答えた人 |
7% |
| 食事、着替え、入浴、トイレが1人ではできない人 |
1% |
| ほとんど1日中、ベッドか家の中で過ごす人 |
7% |
[生活の満足度(ポイント制による)] 心臓移植者の生活に対する満足度は、一般健康人とほとんど変わらない。
| |
心臓移植者 |
全米の一般健康人 |
ポイントの幅 |
| 生活の充実感、満足 |
5.11 |
5.55 |
1.0〜7.0 |
| 健康であるという意識 |
11.11 |
11.77 |
2.1〜14.7 |




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