移植は自然に反する医療か


「他人の臓器をもらってまで生きようとするのは自然に反することで、このような医療は行うべきではない。」
 健康を得ること、生存することは憲法で保障された権利であり、何人もこれを侵すことはできない。したがって、そのための治療を選択・希望することは個人の自由に属し、尊重されるべきである。
 一方、自己の信念によって特定の治療を拒否すること、例えば手術や輸血を拒否したり、がんの末期治療を拒否すること、また種々の理由から臓器移植に反対ないしはそれを拒否することは、個人の自己決定権に属するものであり、当然尊重されなければならない。
 しかし、自分が移植に反対であるからといって、移植を希望する人の権利まで否定することはできない。移植を望まない人の意思も、移植を望む人の意思も共に尊重され、それぞれの権利が保障され、多様な価値観が共存できる社会であるべきであろう。



移植は他人の死を待つ医療か


「移植を待機する患者には、自分が生きるために他人の死を期待する感情さえ起こる。移植は人間性を歪める医療である。」
 移植を待っている患者は、目前に迫る死の恐怖と戦いながら、一日も早い提供臓器の出現を願う気持ちになるかもしれない。しかし、それは不幸にも脳死に至る人たちの中に、提供の意思のある人が出ることを願う心理であって、個人の死を願うことなどでは決してない。
 これについては、移植者が次のように述べている「病気の苦しさ、つらさを知っている人は、人のつらさも自分のつらさと同じように感じるのです。他人の死を期待しているなどとどうして言えるのでしょう。このような考え方は、病気の苦しさを知らない健康な方のおごった気持ちだと思います」(朝日新聞1994. 6. 28)。
 臓器移植を受けた患者は、提供された臓器を「命の贈り物」と呼び、新しい命をもたらしてくれたドナーに対し、感謝の念を忘れることはない。またドナーの遺族は、肉親の臓器が誰かの体の中で生き続け、その人の命を助けるのに役立ったことに、大きな慰めを感じている。臓器を提供することは人間愛の行為であり、これを広めることにより、人間愛の精神を育んでいけるものと考える。



「移植でしか救えない」は本当か


「‘移植でしか救えない’という診断が間違っていることがある。移植の適応とされた患者が、移植を受けないまま長く生存した例もある。移植をする必要がない患者まで、無理やり移植候補者にしているのではないか。」
 たとえば余命1年と診断され、移植が必要とされた患者が、実際には移植を受けることなくそれ以上生存する可能性はある。しかしこれは余命の推定が正確でなかったということであり、移植が必要でないということを意味するわけではない。余命の診断はあくまで推定に過ぎない。しかしその場合も回復の余地はなく、患者はQOLの低い入院生活を余儀なくされ、その後も移植を受けなければ生存できないという事実に誤りはない。また患者が移植の適応であるか否かについては、移植医だけではなく内科専門医を含めた適応検討委員会により十分検討した上で決定される。各臓器の移植適応基準は、移植関係学会合同委員会においてすでに作成されており、これに従って移植を行うことを周知徹底させることが法案要綱(案)の運用事項に明記されている。



移植に替わる医療はあるか


「臓器移植という問題の多い医療を追求するよりも、人工臓器を用いたり、内科的治療に努力すべきである。」
 現在、末期の臓器不全に対する根治的な治療として移植に替わるものは存在しないが、臓器移植は将来にわたって唯一の治療法と考えられているわけではない。臓器不全に対する他の治療法として、人工臓器の研究も真剣に取り組まれているが、現状では十分に機能を代替できる人工臓器は開発されていない。人工心臓、人工肝臓は緊急避難的な使用しかできない。また人工腎臓(透析)は非常に普及しているが、腎臓の機能を完全に代行するわけではなく、長期的には合併症などさまざまな問題を引き起こす(Transplant Communication 第2号参照)。近い将来、人間の臓器と同等の機能を発揮できる人工臓器が開発される見通しは今のところない。
 臓器を代替するよりも、内科的に治療すること、さらには、病気自体を予防することは医療の目標と考えられる。しかし現在においては、臓器を移植する以外救命の方法がない患者が多数存在することは厳然たる事実であり、これこそが移植医療の存在理由である。ただ一般論として人工臓器の開発や、新しい治療法の開発を待つべきだとする主張はこれらの人々を切り捨てることになる。



臓器移植は本質的に不公平な医療か


「提供臓器の不足のため、例えば心臓移植では希望者中ごく少数の人しか実際には移植を受けられず、移植は本質的に不公平医療である。」
 米国UNOSの統計(1993 Annual Report)によると、移植を待てずに待機中に亡くなる患者の割合は心臓移植で33%、肝臓移植で18%であり、また欧州のユーロトランスプラントの統計(Eurotransplant Newsletter 109)では心臓移植で15.8%と報告されており、移植を受けられるのは希望者中ごく少数というのは根拠のない批判である。最近では一時的に人工心臓で生命を維持しつつ移植を待機することも可能となってきており、待機中の死亡を減少させるために現在の医学的成果を総動員した努力がなされている。日本の一高校生も待機中に心臓が停止したため、人工心臓をつけた状態で渡米して心臓移植を無事受けたことは記憶に新しい。
 ただ臓器提供数の不足のため現時点では希望者全員が移植を受けられないのは事実である。しかし、たとえ全員を助けられないからといって一切移植してはいけないという主張は、「船が沈没する際全員が救命ボートに乗れないなら、不公平が生じるから誰も救命ボートに乗ってはならない」という論理と同一であろう。その時点で少しでも多くの人を救命するためにあらゆる努力をすべきではないだろうか。
 そのためにはできるだけ多くの人に臓器移植について理解していただき、少しでも多くの人に提供の意思を持っていただくことが必要である。その結果として臓器移植が普及してゆけば、待機中の死亡をさらに減少させることが可能となる。そのための最大限の努力をすることが必要と考えられる。また臓器提供が限られているからこそレシピエントの公正な選択が必要なのであり、この点については次項で述べる。



レシピエントの選択は公平か


「提供臓器に対してレシピエントを選択する際に不公平が生じる。金や権力を握っている者が優先され、弱者が後回しにされるという事態も起こるだろう。」
 移植を受けるレシピエントを公正に決定することは、非常に重要な問題である。そのために、米国のUNOSやヨーロッパのユーロトランスプラントなど、多くの地域で臓器配分のためのネットワークが確立されている。日本では従来の腎臓移植ネットワークが、臓器移植法の成立に合わせて改組され、より適正に機能できるよう準備が整えられている。新しいネットワークが始動すれば、臓器提供からレシピエント決定に至るプロセスはネットワークを介さずには行えない。
 提供された臓器に対するレシピエント選択の条件は、厚生省の諮問機関である日本臓器移植ネットワーク準備委員会のレシピエント選択基準検討作業部会において、臓器毎に厳正な基準が定められている。主として血液型、組織適合性、臓器のサイズ、患者の重症度、待機時間などによって決められる。これについては、現法案要綱(案)にも運用事項に明記されており、待機患者の経済力や縁故などによって、順位に影響を与えるということは起こり得ないことである。



脳死臓器移植は脳死者の人権を侵害するものか


「脳死を認めるとむやみに臓器を摘出される危険があり、脳死臓器移植は‘脳死’患者の人権をおびやかすものである。」
 この問題は脳死の判定という純粋に医学的行為と、本人の生前の意思と家族の希望によりその後の対応をどうするかという実際的な問題に分けることにより解決できる。
 医師には患者の病態を速やかに診断してその結果を告げる義務がある。脳死は好むと好まざるとに関わらず、医学的に厳然として存在する事実であり、脳死に陥ったと考えられる患者に対しては脳死判定を行い、その結果を家族に告げる診療上の義務がある。すなわち脳死判定は診療行為の一環として行われることであり、臓器提供の有無とは一切関係ない(Transplant Communication 第3号参照)。また家族に対する脳死および脳死判定の説明、さらにその結果の告知は、インフォームド・コンセントの一環として行われ、事実の開示とそれについての説明、その後の取りうる全ての選択肢の提示と、各々について予想される結果の説明というプロセスで行われる。これらは家族の心情に配慮しつつ、また十分に理解できているかを確認しつつ行われる必要があることは当然である。この選択肢の中から本人の生前意思あるいはそれに基づいた家族の希望により、脳死確定後の対応が選択される図1
 脳死確定後の取りうる選択肢として、1)医学的処置の継続、2)医学的処置の中断、
3)臓器提供が考えられ、本人の生前意思、あるいはそれに基づいた家族の自発的意思により選択される。必要な場合には、第3者の意見を聞くことも可能である(セカンドオピニオン)。本人が生前から臓器提供を拒否、ないし希望していない場合、さらに本人の意思にかかわらず家族が臓器提供に反対の場合は、当然のことながら臓器摘出を行ってはならない。また家族が脳死確定後も医学的処置の継続を希望する場合は、その希望は尊重されることは言うまでもない。なお厚生省の諮問機関であるワーキング・グループが作成した「臓器摘出の承諾書に係る手続きについての指針骨子(案)」では、主治医は選択肢のひとつとして臓器提供の機会もあることを示すだけで、その上で臓器提供についての説明を聞く意思の有無を確認し、説明を希望する場合にのみコーディネーターなどを紹介することとしている。この規定により主治医から臓器提供を要請された場合断りきれないと言う懸念は払拭される。
 このように脳死判定は診療行為の一環として行い、その後の対応は本人の生前意思およびそれに基づいた家族の希望で決めることにより、患者の権利は十分に保障されるものと考えられる。最も確実に臓器摘出を拒否する方法は、生前に何らかの形で提供拒否の意思を表示しておくことであり、今回の法案ではこの場合臓器摘出をしてはならないことが明記されている。



臓器移植は弱者切り捨てか


「臓器移植は弱者がドナーとなり、強者に移植するという構造がある。たとえば米国では貧しい黒人の臓器が裕福な白人に移植されているという。
 また、植物状態の患者や重度の精神障害者などの社会的弱者がドナーにさせられ、臓器を摘出される恐れがある。」

 米国のUNOSの統計(1993 Annual Report)によると、提供者としてもっとも多いのは白人であり(80%以上)、黒人の提供は少ない(10%以下)。貧しい黒人から裕福な白人に移植される例が多いというのは誤りである。
 また臓器の提供者となる可能性のある脳死者は、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止しており、どのような方法によっても蘇生しえないことを意味し(Trans-plant Communication 第3号 脳死特集参照)、植物状態の患者や脳に障害を持った人、すなわち適切な治療により生存できる人とは明確に区別される。したがって将来においても、植物状態の患者や脳に障害を持った人たちから臓器摘出を行うことはあり得ない。



臓器移植は犯罪に結びつくか


「多くの開発途上国で移植用臓器の売買が行われ、欧米などでも臓器を得るための誘拐や殺人が多発していることは隠れもない事実である。臓器移植は人間性にもとる行為を引き起こしている。」
 インドなどアジアの一部の国で、生体腎移植のための腎臓の売買が行われているのは事実である。これらの国では極度の貧困の問題が存在し、貧困がもたらす非人道的行為は臓器売買に限らない。このような問題の解決は容易ではないが、国際移植学会の倫理委員会は看過できない問題として、臓器売買を禁止する声明を発表した。欧米では臓器売買は法律で禁止されており、日本でも臓器移植法案で明確に臓器売買の禁止を定め、罰則規定を設けることになっている。
 臓器を得るための誘拐や殺人が多発しているという指摘については、根拠がなく事実として確認されてはいない。このようなことが存在しないことを証明する方法もないが、実際上あり得ないことである。すなわち欧米では公的なネットワークを介さずに移植を行うことは不可能であり、仮に非合法に臓器摘出を試みようとしても、熟達した専門家が設備の整った施設で実施しない限り、臓器の摘出、保存、運搬は完全な状態では行えず、移植には用いることができない。すなわちこれらは闇で実行できることではない。
 以上のように実際に存在する問題点については、防止するため真剣な努力がなされている。しかし、ごく一部で例外的に発生している問題を一般化し、それゆえに臓器移植は行うべきではないという議論は、妥当とはいえないだろう。それは、売血行為の可能性があるからといって輸血を全面的に禁じるようなものである。必要な医療であればそれを認めた上で、その悪用を防止するシステムを整備すべきだろう。



臓器移植費用は高すぎるか


「臓器移植には高額の費用がかかる。このような大金をかける価値があるのか。」
 心臓移植、肝臓移植にかかる費用はたしかに高額であるが、人の命を救うか否かを医療費の大小で決めることはできないだろう。また、高額との非難も、根拠のない推量に基づいてなされている場合があり、表1〜3に正確な数値を示す。現在透析治療のための医療費は年間総額7000億円を越えており、医療費を圧迫している。腎臓移植を行えばむしろこれを軽減することが可能である。

表1 腎臓移植と透析との医療費の比較

 腎臓移植の場合 移植後1ヶ月
2ヶ月目
3〜12ヶ月
240万円(手術代含む)
85万円
23万円
年間約555万円
2年目以降 10〜15万円/月 年間120〜180万円
 外来透析の場合 52万円/月 年間約600万円
 CAPD の場合 51万円/月 年間約600万円

表2 心臓移植を受けた場合の年間医療費(単位円)
    ※心臓移植研究会の試算による(1990年)

  順調な経過の場合 拒絶反応を
起こした場合
肺炎を
起こした場合
両方を
合併した場合
手術費用 2,500,000 2,500,000 2,500,000 2,500,000
術後1カ月 2,086,000 2,086,000 2,086,000 2,086,000
術後2カ月 866,000 2,206,000 1,893,000 2,206,000
術後3カ月 762,000 762,000 762,000 1,893,000
術後4〜6カ月 1,009,000 1,009,000 1,009,000 1,434,000
術後7〜12カ月 1,810,000 1,810,000 1,810,000 1,810,000
合 計 9,033,000 10,373,000 10,060,000 11,929,000

表3 肝臓移植費用(単位円)
※肝移植研究会の試算による(1991年)

・手術費用
・第1週費用
・第2週費用
・第3、4週費用
・第5〜8週費用
2,183,650
1,449,270
662,220
287,430
554,100
小 計 5,136,670
・退院後3カ月費用
・術後4カ月〜1年までの費用
139,320
190,540
以上総計 5,466,530
・術後1年間のシクロスポリン費用 2,543,990
手術〜術後1年間の総費用 8,010,520

 表に見るように、心臓移植では初年度に900万〜1200万円、肝臓移植では初年度に800万円程度の費用がかかるとされている。合併症が加われば、それに応じて費用はさらに増大する。しかし2年目からは通院検査と免疫抑制剤の費用のみで、年間100〜150万円程度と計算される。
 これに対して人工心臓は、体内に埋め込まれるポンプの部分が400万円、体外に置かれるコンソールの部分が2千数百万円、合計約3000万円を必要とする。また、人工肝臓については、現在肝機能を完全に代行するものは存在しないが、部分的に補助する血漿交換および血液濾過を連日行った場合、1ヵ月で990万円の費用がかかる。これらの人工臓器による治療は生命を一時的に維持するだけであって、中断することはできない。またこれによって患者が完全に回復することもない。
 このように人工臓器でも高額の医療費がかかるばかりか、患者のQOLはきわめて悪く、これにより患者を救命することは不可能である。
 なお海外で心臓、肝臓の移植を受ける場合は、医療費の他、待機期間中の滞在費、付添いの生活費も含めて、2000〜3000万円程度の費用が必要となる(帰国後の医療費は別)。待機期間が長くなれば長くなるほど費用はかさむ。これらは個人では負担しきれず、多くの場合募金活動などの支援を受けざるを得ない。



脳死移植の実施は性急すぎるか


「‘移植でしか助からない’患者を助けたいのは当然であるが、法律の制定を急ぎ、問題点の解決していない脳死移植を進めるべきではない。慎重に議論すべきである。」
 臓器移植に関する法案などの検討はすでに1967年から開始されており(日医ニュース 1968. 12. 20)、1969年には厚生省の諮問機関として「臓器移植に関する懇談会」が設置されている(日本医事新報1970. 1. 10)。また脳死に関する議論は、1980年頃から十数年に渡って行われている。無論、必要な議論は十分になされるべきであろう。しかし、いたずらに時間を費やして結論を先送りしてゆくうちに、移植を待ち望む患者の生命はつぎつぎと失われてゆく。脳死臨調の答申でも、「できるだけ速やかに脳死および臓器移植をめぐる諸問題の解決に必要な施策の検討に着手」するよう要望している。
 臓器移植法が制定されることは、すべての人が臓器提供を行ったり、臓器移植を受けることを強制されることを意味しない。現法案では、臓器提供や移植を行いたくない人は、それを拒否する権利が保障されている。



移植は医師の功名心のためか


「移植法成立のあかつきには実施されようとしている脳死下での心臓移植や肝臓移植は、患者のためというよりも、移植医の野心や功名心のためではないか。」
 日本国内でこそ、心臓移植も脳死肝移植も行われず、非常に先端的で特殊な医療というイメージを持たれているが、世界ではすでに心臓移植が2万8千例、肝臓移植が4万例以上行われ、確立された通常の医療とみなされている。今後、日本で心臓移植第2例が行われても、移植施設や移植医自身にとって、名誉にも学問上の業績にもなるわけではない。一部の報道が加熱するために、結果的に世間の注目を集めることになるが、それは移植医の望むところではなく、自身は医師としての本来の職務を果たすだけのことである。



和田移植の反省はなされたか


「医師不信、医療不信、わけても‘移植医療不信’の原点となるのは和田移植である。このような事件が過去にあるからこそ、死んでもいないのに臓器を摘出されるのではないか、必要もないのに移植されるのではないかという不安を拭えない。」
 和田移植の問題点は以下の通りである。
1. 移植医自らが患者の管理をし、脳死と判定した。
2. ドナーが脳死ではなかった疑いがある。
3. レシピエントが移植適応ではなかった疑いがある。
4. 臓器摘出、移植に関する十分な記録が残されていない。
5. 医学界全体が、この事件に対し反省をしなかった。
 殺人罪の告発を受けて検察が捜査したが、証拠不十分で起訴を断念せざるを得ず、真相は解明されずに終わった。また、このために当時の医学界も公式に反省の意を表明する機会を失った。この一連の経過が、国民の間に深い不信の念を植えつけたことはいうまでもない。
 しかし、和田移植のもたらした教訓は今日に及んでいる。1986年日本移植学会はその反省に立って、このような事件を防止するための諸策を盛り込んだ指針を理事長声明として示し、ついで1991年日本胸部外科学会臓器移植問題特別委員会は、「心臓移植・肺移植−技術的評価と生命倫理に関する総括レポート」の中で、和田移植について「反省を基礎として我々の指針を構築すべきである」と総括し、医学的問題のみでなく、社会的・倫理的問題について検討を加えている。
 脳死移植実現の前提は、二度とこのような事件を起こさないよう保障するシステムを確立し、不安を抱く人たちにその点を納得してもらうことでなければならない。すなわち、
1. 脳死者の管理、脳死判定は、救急医、脳外科医が担当する。この過程に移植医が関わってはならない。
2. レシピエントの適応決定は、移植医のみが決めるのではなく、内科専門医を含めた適応検討委員会が行う。
3. 臓器摘出、移植に関する記録を保存することを義務づけ、問題があると考えられる事例については、審査委員会が審査する。
 このようなシステムによって、和田移植のようなケースが再発することはあり得ないと考えられる。これらの点については、今回の法案(運用およびその指針骨子案)、及び移植関係学会合同委員会(世話人 森 亘 日本医学会会長)の「臓器移植に関する指針」に明記されている。



医師不信のため移植はできないのか


「わが国における医師不信・医療不信は根強く、このような中で行われる脳死判定、臓器提供、臓器移植は信用できない。」
 大多数の医師は患者のために誠意を持って努力しているが、さまざまな問題が存在することも否定できない。しかし、一部の医師・医療に対する不信が、すなわち移植医療を否定する根拠とはならないであろう。
 重要なことは、いかにして患者の権利を守るかという問題である。そのために、今回の法案では臓器提供と移植の実施に制約を設けており、それに基づいて前項に挙げた患者の権利を保障するシステムづくりがなされている。今後もたゆまず、あらゆる面でその努力は続けてゆく。
 今日、医の倫理を初めとして、患者の権利、医師と患者の関係、インフォームド・コンセントなどの問題がクローズアップされ、広く議論されているが、それには移植医療が大きな役割を果してきた。社会と深く関わっている医療であればこそ、多くの人々の関心を呼び、議論の的となってきたのである。今後、移植医療における議論が契機となって、医療全般におけるさまざまな問題点が議論され、よりよいあり方を実現してゆくことも可能になろう。
 医師不信を解消するためには、医師の側が反省し、改めるべき点が多々あることはいうまでもない。そのひとつとして今回移植関係学会合同委員会において、インフォームド・コンセントの保障が確認されている。しかし、医師と患者とのよりよい関係は、医師の努力のみによって築かれるものではなく、患者の側の努力も必要であろう。医療の現場で医師と接する際には納得のゆくまで十分な説明を要求し、治療法の選択肢の中から自分で判断し、自発的に選択するという主体的な姿勢が求められる。その際、医師と患者の間のギャップを埋め、分かりやすい情報提供、その他の面でサポートするシステム(コーディネーター、カウンセラー、セカンドオピニオンなど)も必要となってくるだろう。
「不信」を旗印に背を向け合うよりも、医師と患者が相互に努力し協力して、よりよいあり方を模索していこうとする方が、よほど生産的ではないだろうか。



免疫抑制剤は副作用がひどいのか


「臓器移植を受けた人は、強い免疫抑制剤を使用するため、抵抗力が落ちて重い感染症で死亡しやすく、また種々の副作用が高率に発生する。」
 初期の免疫抑制剤は広範囲に作用したため感染症の発生率が高かったが、現在用いられているシクロスポリンなどの新しい免疫抑制剤は拒絶反応に関係した免疫反応のみを抑制し、一般の細菌に対する抵抗力はあまり低下させない。しかもその使用法は近年非常に進歩し、血中濃度を測定することにより適正な投与量を決めることができるようになった結果、感染症の発生は非常に減っている。また、その予防法および治療法も進歩してきたため、かつては多かった肺炎による死亡も現在では非常に少なくなっている。
 以上に述べた免疫抑制剤の適正な投与により、その副作用として現れる高血圧、腎障害などの発生率も低下している。ただし、心臓移植においては高血圧の発生率がいまだに減少していないという報告もあるが、これについては移植前から存在するものも含まれており、免疫抑制剤の副作用と断定することはできないだろう。なお通常高血圧は、降圧剤の服用により改善することができる。
 移植後3ヵ月を経過すると拒絶反応の発生頻度は少なくなって安定期に入るため、免疫抑制剤の使用量もごくわずかとなり、感染症をはじめとした副作用の発生率は一段と低下する(Transplant Communication 第3号参照)。



移植後も病状は良くならないのか


「移植後の病状は必ずしも良くならず、例えば心臓移植の場合、北米の最新の推計で20%の患者ではかなりの改善をみるものの、20%は種々の合併症で死亡、残る60%は極めて深刻な状態にあると言われている。」
 心臓移植の世界統計によれば、1988年以降の心臓移植後の生存率は移植後1年で82%、3年で76%である図2。最新の統計ではさらに改善しており、移植後1年で92%の人が生存しているという報告もある。移植する前のこれらの人々の病状は、73%が寝たきりで、24%が心不全の症状のため日常生活に支障があったとされている。移植後これらの症状は劇的に改善し、生存者の86%が全く無症状で、12%が日常生活には支障がないとされ、すなわち98%が通常の生活を送ることが可能となっている表4。さらに心臓移植後のQOLについては、80〜85%が活動力が高いとされ、生活の充実感、健康であるという意識度も一般健康人とほとんど変わらない表5。海外で心臓移植を受けた日本人についても同様である。
 臓器移植法の制定に反対する意見広告(朝日新聞1994. 6. 22)では、「北米の最新の推計で心移植後(中略)20%は種々の合併症で死亡、残る60%は極めて深刻な状態にある」と指摘しているが、これは一般に公表されているデータとは著しく異なっている。批判は事実に基づいてなされるべきであり、事実に基づかない批判は混乱を招くだけで、フェアーな姿勢とは言えないだろう。
 誤解を正し、事実を認識してもらうために、移植後の生存率やQOLに関する海外の調査結果を紹介する表4、5、図2、3、4、5、6

表4 心臓移植後1、2、3年の生存者の心不全の程度

  移植前(%) 移植後(%)
1年 3年
まったく無症状 1 86 86
日常生活では症状なし 2 12 12
日常生活で症状あり 24 1 1
寝たきり 73 1 1

表5 National Transplantation Study(1991年)

[移植後の健康状態、体調]
心臓移植後のQOLを、全米の移植施設の85%についての調査から分析した。
活動力が高い人 80〜85%
低い人 15〜20%
移植後の健康状態が悪いと答えた人 7%
食事、着替え、入浴、トイレが1人ではできない人 1%
ほとんど1日中、ベッドか家の中で過ごす人 7%

[生活の満足度(ポイント制による)]
心臓移植者の生活に対する満足度は、一般健康人とほとんど変わらない。
  心臓移植者 全米の一般健康人 ポイントの幅
生活の充実感、満足 5.11 5.55 1.0〜7.0
健康であるという意識 11.11 11.77 2.1〜14.7